7月6日に行われるようになった仙台七夕まつり
七夕まつりは本来、旧暦7月7日の行事であり、仙台でもその例外ではなく、7月7日に行われ、8日の朝に飾り物をつけたまま川に流されていました。その様子が、伊達13代藩主伊達慶邦(よしくに)公の随筆「やくたい草」(明治6年(1873)『楽山公御遺稿』4巻)にも、次のように記されています。
「七月七日を七夕といひて、六日の夕より七夕の古歌を、五色の色紙短冊に書き、又うちは扇の類おもひおもひに女子共のつくりもの、ささ竹にむすひつけて、軒端にたてて二星をまつりて、其笹を八日の朝には、かならす川に流す事は、いつこも同じならはし也。」 |
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しかし、この文章の続きに、第7代伊達重村公(徹山公)の時から、一日繰上げ、旧暦7月6日の晩に飾り、7日の朝に流す様に1日繰り上げらて行われるようになった様子が次の様に書かれています。 「仙台にては六日の晩にこのまつりをして、七日の暁には評定橋等より笹を流す風習也。この事をたつぬれは 徹山公の御時より御さハりありて、七日節句のおいわひなし。依てはばかりて六日に二星をまつるとそ、遠きむかしとなりぬれは、今の世にははかる事にもあらねとも、其の仕形とおもはる。さて七夕に多く女共の手向るうた、よみ人はしらねとも 七夕に 願の糸を 引かけて こよひそいのる 星合の空」 また、文政3年(1820)の『参詣記』にも、次のような記述があります。「七月七日朝 御評定橋七夕まつりへ詣てたりし、昨六日夜者人こと打交りて、翌(あく)ル朝早く起き出て、詣て(で)はべりなんとて、とりとりにいい物して臥候て(ふしそうろうて)、今朝ハ昨夜の言の葉にたがは(わ)ず、疾(と)ク起キて参る、(以下略)」 |
このように、6日の夕方から、笹竹をかざり姫星と彦星を祭って、手習・手芸の上達を願い、また関東・北陸・東北一帯で行われていたように線香をともすところもあり、農家では田の神の乗馬として藁などで七夕馬をつくって屋根に上げるなどして、豊作を祖霊に祈りました。
仙台では、七夕の笹のついた竹は、その小枝を落とし物干竿に使用し、小枝は七夕飾りのついたまま7日朝(時代によっては8日朝)、広瀬川に笹を流して、水を浴び、洗い物をしました。この日を七日浴(なぬかび)とも七日盆ともいい、本来は「みそぎ」をして盆祭に入る準備をする日だったのです。 |